春夏通じて初の甲子園出場をきめた北海道別海高校。
その野球部を率いるのが島影隆啓(たかひろ)監督です。
着任8年目となる別海高校野球部で、部員16人という少なさで選抜高校野球2024に出場します。
それだけでも島影隆啓監督がすごいことはわかりますが、どのような経歴をお持ちなのでしょうか。
別海高校野球部の島影隆啓監督の経歴がすごいようです。
野球部の監督をしていますが、実は本業はコンビニの副店長なんです!
本業のコンビニの副店長として働きながら、別海高校野球部の指導もしていることになります。
とてもハードな生活をしていそうですね。
また、別海高校野球部の監督をする前は、他の高校で指導者をしていたのかということも気になります。
今回は、『島影隆啓(別海高校野球部監督)の経歴がすごい!本業はコンビニの副店長!』と題して、島影隆啓監督の経歴、そして、学歴を調べてみました。
島影隆啓(別海高校野球部監督)の経歴がすごい!
別海高校野球部の島影隆啓監督の経歴を詳しく見ていきます!
島影隆啓の本業はコンビニの副店長!
別海高校野球部を初の甲子園出場に導いた島影隆啓監督ですが、実は本業はコンビニの副店長なんです!
ご実家が30年近くコンビニの「セイコーマートしまかけ中春別店」を営んでおり、島影隆啓監督は3代目とのことです。
そのため、島影隆啓監督は、コンビニの仕事と野球部監督というハードな生活を16年ほど続けています。
島影隆啓監督は、午前3時30分にコンビニに出勤し、店内調理の商品を仕込み、事務作業を含め午前9時頃までに業務を終え、一度帰宅。
仮眠を挟み、夕方になるとユニフォームを着て、別海高校野球部の外部指導者となります。
野球部の練習を夜の7時頃までしたとすると、帰宅後は、お風呂とご飯を済ませたらすぐ寝てしまいそうな生活スタイルです。
さらに、休みの日は、コンビニでの仕事を終え、そのまま野球部の練習に向かっています。
年々体力的に厳しさを感じているそうですが、「甲子園出場」という目標が原動力となっていたそうです。
武修館高校を突如解雇された?
島影隆啓監督は、大学卒業後、会社員として働きますが、24歳で会社を辞めました。
そして、恩師の誘いがきっかけで武修館高校の指導者となり、6年間監督を務めていました。
しかし、2013年8月に学校側から「君は人気がなく、人が集まらない」との理由で突如解雇を告げられたそうです。
釧路にある私立・武修館高校の監督時代に、島影監督は二度、21世紀枠の候補校(2008年、2010年)となり、いずれも落選を経験していた。その後、2013年8月に突如として解任を告げられる。その理由は「君は人気がなく、選手が集まらないから」。
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これに対し、保護者が署名活動をしたそうですが、解雇が2014年3月に延びただけで、解雇は覆りませんでした。
保護者が署名活動をしている時点で、人気がないからという解雇理由に疑問が浮かびますが…
島影隆啓監督が育てた選手たちが夏の甲子園に出場したというわけです。
島影隆啓監督は、嬉しい気持ちもあったでしょうが、複雑な心境だったでしょうね。
少年野球チームのコーチを経て別海高校野球部監督に!
武修館高校を解雇され、地元の別海に戻った島影隆啓監督は、少年野球チーム「中春別ジュニアホークス」のコーチとして野球に携わっていました。
そして、2016年に少年野球チームの指導を通して親しくなった町の人々が推薦し、「別海高校の監督ををしてみないか」と誘いを受け、監督をすることとなりました。
就任当初、2、3年生は4人、そこに新入部員6人というチーム構成だったそうです。
また、練習する環境が整っていなかったため、練習環境の整備からスタートとなりました。
練習環境の整備も保護者や卒業生、町民らの協力があったからこそできたことだそうです。
そのようなこともあり、甲子園に出場し、恩返ししたいという思いが強かったようですね!
島影隆啓(別海高校野球部監督)の学歴は?
島影隆啓監督は、北海道釧路市にある武修館高校の出身です。
なので、会社員を辞めた後は、母校で6年間指導者をしていたということになります。
そして、出身大学は、札幌大学という情報がありましたが、信憑性には欠けます。
まとめ
別海高校野球部の島影隆啓監督は、本業であるコンビニの副店長をしながら、野球部の監督をしています。
一度会社員として働いた経歴もあるようです。
会社員を辞めた後は、母校の武修館で野球部監督を務めますが、突如解雇されます。
その後、少年野球チームのコーチを経て、別海高校野球部の監督になります。
そして、ついに念願の甲子園出場を決めました。
念願の甲子園でどのような戦いをするのか楽しみですね!
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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