社高校野球部山本巧監督の経歴や高校時代を調査!指導方法やチーム作りの変革も!

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兵庫県の社高校野球部が、創部74年目にして初の夏の甲子園出場となりました!

公立高校の強豪校として知られている社高校野球部は、阪神タイガース・近本光司選手や、楽天・辰己涼介選手など、数名のプロ野球選手を輩出しています。

強豪校ながら夏の甲子園出場を果たしていなかった社高校野球部を、初の夏の甲子園に導いたのが山本巧監督です。

社高校野球部を初の夏の甲子園に導いた山本巧監督が、どのような人物なのか気になりますね!

そこで、社高校野球部山本巧監督の経歴や高校時代を調べてみました。

調べたところ、山本巧監督は、高校時代に高校野球の監督を志すことを決めたようです。

また、初の夏の甲子園出場のために、山本巧監督は、指導方法やチーム作りの変革を行ったそうです!

社高校野球部山本巧監督の指導方法やチーム作りの変革についても調べてみました。

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社高校野球部山本巧監督の経歴や高校時代を調査!

夏の甲子園初出場に導いた社高校野球部山本巧監督の経歴や高校時代を紹介していきます!

通信課程で教員免許を取得し、野球部監督に!

社高校野球部山本巧監督の経歴は、少し異色のようですので、まとめてみました。

概要
1990年3月社高校 卒業
民間企業勤務
学校職員として働きながら、
大学の通信課程で教員免許取得
2000年教員として採用される
2014年3月まで小野高校などで監督を務める
2014年8月社高校に着任

山本巧監督は、社高校の卒業生で、社高校野球部OBなんです!

母校の監督として、夏の甲子園に出場できるのは、本当に嬉しいでしょうね。

さらに、山本巧監督は、甲子園に出場するという夢を叶えるために教員免許を取得したため、嬉しさは人一倍でしょう!

 

詳しい企業はわかりませんが、山本巧監督は、一度民間企業で勤務されています。

その後、学校職員として働きながら、大学の通信課程で教員免許を取得されました。

何としても教員免許を取得したいという強い気持ちをお持ちだったことがわかります。

 

ちなみに、通信課程で教員免許を取得するためには、最低でも2年かかる上に、費用も100万円ほどかかります。

働きながら教員免許を取得するのは、簡単ではないことがわかりますね。

それをクリアし、大学通信課程で教員免許を取得された山本巧監督の熱い気持ちが伝わります。

 

また、山本巧監督は、社高校の前は小野高校野球部の監督を務めていましたが、2008年の西兵庫大会でベスト8まで進出しています。

ですので、山本巧監督は、監督としての実績をしっかり残されています。

 

そして、2014年に母校である社高校に就任し、8月に野球部監督に着任されました。

社高校野球部の監督に着任後、8年で夏の甲子園出場を決めたのは、山本巧監督の指導が実ったということですね!

社高校野球部は、2004年にセンバツ高校野球に出場し、4強入りしていますが、山本巧監督率いる社高校野球部としては、甲子園初出場となります。

山本巧監督がどのような采配をするのか、社高校野球部の戦いが本当に楽しみですね!

 

また、残念ながら初戦敗退してしまいましたが、48年ぶり3回目の夏の甲子園出場を果たした盈進高校野球部の佐藤康彦監督も脱サラして監督に就任されています。

盈進高校野球部佐藤康彦監督の経歴や年収は?甲子園出場経験も調査!

高校時代は甲子園出場ならず

山本巧監督は、社高校野球部OBですが、甲子園出場経験はありません。

1987年に社高校野球部が地区大会で2度目のベスト4敗退を見て、「社で甲子園に行く」と決め、社高校に進学したそうです。

 

山本巧監督は、2年生夏から背番号3を付けていましたが、最期の夏は地区大会5回戦止まりでした。

背番号3をつけているということは、山本巧監督の守備位置は、ファーストだったと推測されます。

 

最後の夏で敗北した際、「泣けば現実を受け止めることになる」と、3年生でただ一人泣くのをこらえたそうです。

そして、その帰りのバスで、「もう一度、甲子園を目指すには」と思い、考えたことすらなかった『教職』という道が頭に浮かんだとのことです。

山本巧監督は、高校時代に叶えることができなかった甲子園出場という夢を監督として叶える道を選ばれました。

 

ただ、学校に就職希望を伝えた手前、進路を変えることはせず、前述した通り、一度民間勤務しています。

そして、大学の通信課程で教員免許を取得し、見事、高校時代の夢を甲子園で叶えられました!

高校時代に果たせなかった『甲子園出場』という夢を叶えるため、考えたことすらなかった教員免許を取得し、夢を叶えた山本巧監督の采配から目が離せませんね!

社高校野球部山本監督の指導方法やチーム作りの変革も!

社高校野球部山本巧監督は、指導方法やチーム作りの変革を行い、夏の甲子園出場を果たしました。

そこで、山本巧監督の指導方法やチーム作りの変革について調べてみました。

メトロノームを使用した練習法!

山本巧監督の指導方法として、メトロノームを使用したものがあるとのことです。

メトロノームとは、音楽で使用することがほとんどで、一定のリズムを刻むものです。

 

そんなメトロノームを使用し、時間間隔を覚えるような練習を行うそうです。

メトロノームの速さを60に設定し、ノックの練習や打撃練習に役立てています。

この練習方法により、バッティングのタイミングが取りやすくなるのかもしれませんね!

メンタルの指導方法!

山本巧監督は、2014年8月に社高校野球部に就任すると、

  • 『自然のシステム』を備えたチーム
  • 『心的環境づくり』
  • 『価値観』『思考のあり方』という根本を変化
  • 『根拠のない自信』
  • 『揺れないメンタル』
  • 『ブレインストーミング』の導入

このように、考え方やメンタル面を中心とした指導方法を行ってきたとのことです。

 

例えば、『自然のシステム』を備えたチーム作りというのは、以下のような理由があります。

自然界に多種多様な植物が育ち共生するかの如く、選手が互いに高め合い成長していく『自然のシステム』を備えたようなチーム作りを志した

高校野球ドットコム

しかし、「今いる選手を否定したくない」という理由で、無理やり行うことはしなかったようです。

 

他にも、『心的環境づくり』として、選手があるべき心の置き方に出会い、夢に向かって邁進することのできる環境づくりに努められています。

放課後は、一番にグラウンドに移動し、選手を出迎える形であいさつを交わしたり、グラウンドで選手と対話をするなど、新しい指導方法を行ってきました。

数々の指導を行った結果、3年ほど前の2019年あたりから、「少しずつ成果を実感できる時間は増えてきた」とおっしゃっています。

それが遂に実を結び、夏の甲子園初出場に繋がったということですね!

 

技術的な指導だけでなく、考え方やメンタルなど、心の指導を重点的に行うこともチーム作りには欠かせないことがわかります。

山本巧監督の下で鍛えられた心身で、夏の甲子園でまずは1勝してほしいですね!

山本巧監督が気になった社高校のある部分とは?

社高校野球部山本巧監督は、前任校の小野高校監督時代に社高校と対戦経験があります。

その際、社高校野球部の『ある部分』が気になっていたとおっしゃっています。

何度も対戦する中で、体育会系文化の負の部分がネックになっているんだろうなと感じていました。それは誰の責任でもなく、長らくの日本社会発展の歴史上、意識的にも無意識的にも利用されてきた体育会系文化の負の価値観や慣習、思考のあり方が教育界にも用いられ、招いていたことだと思っていました。

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ちょっと難しい言葉が並んでいますね・・・

 

具体的に言うと、小野高校監督時代の山本巧監督は、対戦相手である社高校野球部の以下のプレーが気になったそうです。

当時の小野高校は、四球を選ぶと相手の様子を伺いながら、盗塁するという意識改革のための戦術をあえて持ち合わせていました。

それが、社高校野球部相手に成功した時の内野手の「盗塁は想定外!」というようなリアクションを見て、事の深刻さを感じたと言います。

 

このプレーに対し、山本巧監督は、

相手の内野手はそこに対しては切り替えて行こうと。そういう雰囲気、運びだったように感じました。『想定外』を無くすことも練習要素の一つだとすると、その域ではなかったのかなと。

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要するに、四球で塁に出たランナーが、盗塁を陥れようとすることを想定していないという社高校野球部の選手に深刻さを感じたということです。

この経験があったからこそ、山本巧監督は、社高校野球部監督に就任した際、考え方やメンタルを鍛えることに重点を置いたのかもしれませんね。

まとめ

創部74年にして、公立の強豪校である社高校野球部が夏の甲子園初出場を果たしました。

そんな社高校野球部を夏の甲子園に導いた山本巧監督は、異色の経歴をお持ちですが、甲子園への強い気持ちを持ち続けていたことがわかりました!

山本巧監督の下で変革した社高校野球部の戦いに大注目です。

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