津田啓史は父も元高校球児で甲子園出場経験あり!度会隆輝との関係は?

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横浜高校出身で、社会人野球の三菱重工EASTの津田啓史選手。

2023年のドラフト会議で指名される可能性が高くなっているようです。

 

そこでどんな選手か調べたところ、津田啓史選手の父も元高校球児で甲子園出場経験ありということがわかりました。

では、津田啓史選手の父は、どこの高校でプレーしていたのでしょうか。

また、同じく社会人野球で注目されているENEOSの度会隆輝選手との関係も気になります。

  

そこで今回は、以下について調べてみました。

  • 津田啓史の父も元高校球児で甲子園出場経験あり!
  • 津田啓史と度会隆輝との関係は?
  • 津田啓史のプロフィールや高校時代の成績!
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津田啓史の父も元高校球児で甲子園出場経験あり!

津田啓史選手の父や母、兄弟、祖母について調べてみました。

父は熊本工業高校出身!

津田啓史選手の父は欣哉(きんや)さんと言い、熊本工業高校の元高校球児でした。

また、父・欣哉さんも甲子園出場経験があります。

2021年夏時点で父・欣哉さんの年齢が48歳という情報がありました。

年齢から甲子園出場年を遡ってみたところ、恐らく1991年の春夏の甲子園に出場されていたはずです。(計算が間違えていたらすみません。)

父・欣哉さんが高校球児だった頃、熊本工業高校は甲子園に頻繁に出場していました。

熊本工業高校は、春21回、夏22回、計43回甲子園に出場!熊本県内の高校でダントツの出場回数!

 

また、2021年頃まで、父・欣哉さんは、熊本工業高校野球部の部長を務められていました。

高校野球部の部長を務めていたということは、父・欣哉さんは教員免許をお持ちということですね!

もしかしたら、他の高校でも野球部に関わってこられたかもしれませんね。

兄弟はいる?

津田啓史選手に兄弟はいるかどうかですが、いくつもニュースをチェックしても情報はありませんでした。

兄弟に関する情報がないので、一人っ子の可能性が高いかもしれませんね。

祖母は甲子園まで応援に!

津田啓史選手の祖母は、上田博美さんと言い、津田啓史選手がセンバツ甲子園に出場した2019年3月時点で68歳でした。

とてもお元気な方のようで、熊本県から甲子園まで、孫である津田啓史選手の応援に駆けつけていたそうです。

24日に甲子園球場で行われた選抜高校野球大会。横浜高は初戦敗退に終わったが、地元・熊本を飛び出して名門に進んだ津田啓史選手(2年)は、初の甲子園ではつらつとプレーした。アルプス席には、3年前の熊本地震を乗り越えてきた気丈な祖母の姿があった。

カナロコ

 

また、熊本地震で祖母・博美さんのご自宅は全壊したそうです。

祖母に怪我はなかったようですが、2週間も車中泊となりました。

その時、津田啓史選手は、祖母の家のがれきの片付けを手伝ったり、祖母の話し相手になって励ましたりしていたそうです。

おばあちゃん思いの素敵な津田啓史選手がプロ野球選手になれば、また博美さんの楽しみも増えるのではないでしょうか。

熊本県から試合を見に行きやすい球団だとうれしいですね!

津田啓史と度会隆輝との関係は?

津田啓史選手とENEOSの度会隆輝選手は、横浜高校時代の同級生です。

津田啓史選手は遊撃手、度会隆輝選手は二塁手手や三塁手という関係でした。

高校卒業後はそれぞれ別の社会人野球チームに進みましたが、2023年の都市対抗野球大会エキシビションマッチで対戦していました。

 

横浜高校時代は、同時に1年春からベンチ入りし、同年秋から二遊間を守っていました。

度会隆輝選手は、三塁を守ることもあったのですが、二塁を守ることの方が多かったようです。

2人でプロ野球選手になるという目標が叶おうとしていますね!

横浜高時代、2人は1年春に同時にベンチ入りを果たし、その年の秋からスタメンとして二遊間を守ってきた。そろって甲子園の土を踏み、「絶対プロに行こう」と言い合ってきた。

毎日新聞

 

度会隆輝選手については、こちらの記事で詳しく調べています。

度会隆輝の守備位置はセカンドや外野で評価は?父は元プロ野球選手の度会博文!

ぜひチェックしてみてくださいね!

津田啓史のプロフィールや高校時代の成績!

最後に、津田啓史選手のプロフィールや横浜高校時代の成績をまとめました。

プロフィール

津田啓史選手のプロフィールはこちらです。

  • 名前:津田啓史(つだ・けいし)
  • 生年月日:2002年11月23日
  • 出身地:熊本県熊本市
  • 身長:181cm
  • 体重:88kg
  • 投打:右投げ右打ち
  • 遠投:110m
  • 50m:5秒9

 

津田啓史選手は、熊本市立長嶺小学校の時に中島サンダーズ(軟式)で野球を始めました。

熊本市立長嶺中学校の時は熊本中央ボーイズに所属し、中学3年の夏にはU-15代表として世界大会に出場しました。

また、身体能力が高い津田啓史選手は、中学時代に熊本県大会の100mハードルを13秒62というタイムで優勝した経験もあります。

高校時代の成績

地元の熊本県を離れて横浜高校に進学した津田啓史選手は、高校1年春から背番号16でベンチ入りしていました。

高校1年夏にチームは甲子園出場を果たしますが、津田啓史選手の出番はありませんでした。

同年秋から遊撃手のレギュラーとなり、3拍子揃った選手としてプロから注目されます。

 

高校2年春のセンバツ高校野球に2番・遊撃手で出場するも初戦敗退。

高校2年夏の予選は、1番・遊撃手で打率5割を記録しましたが、準々決勝敗退という結果でした。

高校3年夏の神奈川県大会および甲子園は、新型コロナウイルスのため中止に。

プロのスカウトにアピールする場をなくした津田啓史選手は、自信を持ってプロ志願届を出せる状態ではなかったため、提出せずに社会人野球の道へ進みました。

まとめ

津田啓史選手の父は、熊本工業高校の元高校球児で、甲子園出場経験ありでした。

また、熊本工業高校野球部の部長を務めていたこともあります。

もし、津田啓史選手が熊本工業高校に進学していたら、父が部長をしている野球部でプレーしていたのかもしれませんね。

また、度会隆輝選手とは横浜高校時代の同級生で、二遊間を守っていました。

お互い社会人野球に進み、同じ年にドラフト指名されるかもしれませんので、楽しみですね!

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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