M-1グランプリ2022の新しい審査員となったお笑いタレントや漫談家の山田邦子さん。
若い世代だと、山田邦子さんって誰?となった方もいるかもしれませんね。
山田邦子さんの若い頃を知っている方でも、最近は山田邦子さんをテレビで見ないので、M-1グランプリ2022審査員として発表されて驚いたのではないでしょうか。
若い頃はテレビ出ない日はないくらいの山田邦子さんでしたが、テレビ出ない干された理由はなぜなのでしょうか。
テレビでない日はないくらいの人気があった山田邦子さんですので、テレビ出ない干された理由は相当なものがありそうですよね。
山田邦子さんがテレビ出ない干された理由はなぜということですが、不倫や暴言で好感度急落や乳がんの治療などがあるようです。
そこで今回は、『山田邦子がテレビ出ない干された理由はなぜ?不倫や暴言で好感度急落や乳がん治療も』と題して、山田邦子さんがテレビでない干された理由はなぜなのか調査してみました。
山田邦子さんが痩せたと話題になっていますが、全盛期に比べると痩せていますね!
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山田邦子がテレビ出ない干された理由はなぜ?
M-1グランプリ2022で、上沼恵美子さんの後釜審査員となった山田邦子さんが、テレビ出ない干された理由はなぜかは以下6つです。
- 不倫から略奪婚
- 井上公造への暴言
- ADへの悪い態度
- 冠番組の打ち切り
- 露出過多の反動で視聴率低迷
- 乳がん治療も
ただやはり、山田邦子さんは全盛期の頃のおもしろさや能力を買われて、今回M-1グランプリ2022の審査員に選ばれたのでしょう。
山田邦子さんがM-1グランプリ2022でどのような審査やコメントをするか、そちらにも注目が集まりそうですね!
それでは、1つずつ理由を見ていきましょう。
不倫から略奪婚
山田邦子さんは、1995年12月に妻子ある男性・後藤史郎さんとの不倫をスクープされたことが、テレビ出ない干された最大の理由ではないでしょうか。
当時、山田邦子さんは仕事が激減していたのですが、その中での不倫騒動、そして後から紹介する罵倒があり、完全にテレビから姿を消すことになります。
しかし、山田邦子さんは2000年に不倫相手だった後藤史郎さんと略奪婚を実らせています。
この時も、山田邦子さんは再びバッシングを受けることになってしまいます。
ちなみに、後藤史郎さんは番組制作会社「ゴッズダイナミックワールド」の社長を務めています。
そのため、都内の一等地に8億円と言われる豪邸を購入したという噂もあります。
もちろん後藤史郎さんの収入もすごいですが、山田邦子さんの全盛期の年収もすごかったとか!
山田邦子さんの全盛期やその時の年収についての詳細はこちら↓
山田邦子の全盛期はいつで年収はいくら?売れた理由はなぜで現在の活動は?
山田邦子さん自身はテレビ出ない干された理由について、「出過ぎてブームが終わった」「”あいつばっかり”とみんなが悔しがり、かなり激しいブロックに遭った」とおっしゃっていたようです。
2015年放送の『サワコの朝』(TBS系)に出演した山田は、テレビの露出が減った原因を『出過ぎてブームが終わった』『“あいつばっかり”とみんなが悔しがり、かなり激しいブロックに遭った』と言い張っていました
リアルライブ
しかし、実際は「不倫から略奪婚」が致命傷になったのは言うまでもありませんね。
井上公造への暴言
山田邦子さんは1995年の不倫騒動の際、芸能リポーターの井上公造さんへの暴言があり、好感度が急落しました。
それが致命傷となり、山田邦子さんはテレビから姿を消すこととなりました。
暴言の内容は「お前モテないだろう」「バカじゃないの」といったものです。
そして同年12月、『FOCUS』(新潮社)が妻子ある男性との不倫をスクープ。山田はメディアから執拗に追い回され、いら立ちから芸能リポーター・井上公造に対して、「お前モテないだろう」「バカじゃないの」と罵倒。そのシーンがワイドショーで繰り返し放送され、反感を買いまくった山田はテレビから姿を消していったのだ。
リアルライブ
不倫騒動でメディアから執拗に追い回されたため、ストレスが溜まっていたかもしれませんが、好感度急落するのも無理ないですね。
また、山田邦子さんは1988年~1995年までNKHの好きなタレント調査において、8年連続で第1位となっており、好感度タレントの代名詞ともなっていました。
これまで好感度No.1だった山田邦子さんが不倫や井上公造さんへの暴言を吐いたため、反動としてバッシングも大きかったのではないでしょうか。
その後の好きなタレント調査では、
- 1996年度:6位
- 1997年度:14位
みるみるうちに順位を落としていきました。
山田邦子さんがテレビにでていた理由は、8年連続人気No.1だったということが大きかったんですね。
ADへの悪い態度
山田邦子さんは全盛期にADへの悪い態度もあり、テレビ出ない干されたと言われています。
これは噂レベルのため信憑性には欠けるのですが、山田邦子さんのADへの悪い態度でテレビ出ない干されたのではと言われています。
また、山田邦子さんの人気がすごかったため、周囲からは相当妬まれたそうです。
全盛期はレギュラー14本という売れっ子なので、嫉妬はたくさんあったでしょうね。
ただ、周囲からの嫉妬があるため、スタッフからは扱いにくいタレントとなっていたようです。
山田邦子さんは「天狗になっている」と業界関係者からの評判は良くなかったようですね。
冠番組の打ち切り
不倫騒動の少し前となる1992年、高視聴率だった山田邦子さんの冠番組『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』が突然打ち切りとなりました。
同番組の売り切り理由は、ゴールデンタイムの音楽番組を復活させるためと説明されていました。
しかし実際は、番組レギュラーを頻繁に変更するスタッフへ山田邦子さんがご立腹、
と意見し、メイン司会者の自らも番組降板を申し出たことが本当の理由だったそうです。
山田邦子さんは仲間思いな面がある一方、スタッフに喧嘩腰だったため、扱いにくいタレントとして有名だったそうです。
先程のADへの悪い態度も含め、当時売れっ子とはいえ、テレビ局への態度というのは芸能生活に影響を及ぼすんですね。
露出過多の反動で視聴率低迷
『やまだかつてないテレビ』打ち切りがありましたが、1995年には昼の帯番組『山田邦子のしあわせにしてよ』が始まりました。
しかし、裏番組の『笑っていいとも!』や『午後は〇〇おもいッきりテレビ』を視聴率で追い抜くことができず、低視聴率となりました。
これまでの山田邦子さんの露出過多の反動で視聴率低迷したと言われています。
また、好感度No.1だったことの反動としてバッシングも起こるようになりました。
1997年には『山田邦子のしあわせにしてよ』『邦子がタッチ』という2つの冠番組が同時期に打ち切りになり、冠番組がなくなった山田邦子さんに事務所もお手上げ状態となってしまったようです。
一度バッシングが起こると止まらないのか、1995年のNHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』において、吉宗の生母・浄円院を演じられましたが、そのキャスティングにもバッシングが起こりました。
浄円院は農民の出という説もあるため、庶民的なタレントである山田邦子さんが選ばれたが、視聴者からは「違和感がある」という反応が多かったようです。
これが典型的なミスキャストということでバッシングが起こり、徐々にテレビでないようになっていきました。
乳がん治療も
山田邦子さんは不倫や暴言でテレビ出ない干された状態になりましたが、2007年4月の「最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学 スペシャル」にゲスト出演した際、左右の胸に乳がんがあることが発覚しました。
その後、2回の手術を経てがんを全摘出し、再発はしていないようです。
山田邦子さんは乳がんになったことをきっかけに、タレント活動の傍らがんに関わる啓蒙活動に積極的に参加するようになったそうです。
ですので、2007年以降は、テレビ出ない干されたというよりは、タレント活動をセーブしながらがんに関わる活動を行う時間に充てていたのかもしれませんね。
ただ、がんに関わる活動をする一方で、山田邦子さんは「職業はお笑い」という強い気持ちを持っており、お笑い活動への情熱は持ち続けていたそうです。
お笑いはやめたくないという語る山田邦子さんは、2017年の「女芸人No.1決定戦 THE W」へ参戦すると発表しました。
しかし、番組の詳細についての説明を受けていなかったことを理由に出場を辞退することとなりました。
そのことについて山田邦子さんは
と悔しさを感じていたそうです。
山田邦子さんはお笑いに対しての熱い情熱を持ち続けていたため、M-1グランプリ2022審査員への任命はかなり嬉しいのではないでしょうか。
一度は天下を取った女性ピン芸人である山田邦子さんの一言一言に注目が集まりそうですね!
山田邦子のプロフィールを紹介
- 名前:山田邦子(やまだ・くにこ)
- 生年月日:1960年6月13日
- 年齢:62歳
- 血液型:B型
- 出身:東京都荒川区
- 事務所:フリー→太田プロダクション→フリー→アスリート・マーケティング
- 職業:お笑いタレント、漫談家、女優、司会者、小説家
- 芸風:漫談、ものまね、コント
- 同期:とんねるず、笑福亭鶴瓶、大木こだま・ひびき
山田邦子さんは川村短期大学(現在の川村学園女子大学)に入学後、落語家を目指して早稲田大学の寄席演芸研究会へ入部したそうです。
「可愛家マッハ」の芸名で活動していましたが、落語家には向いていないと悟り、漫談家に転向しました。
そして、山田邦子さんは1981年にドラマ『野々村病院物語』で女優デビューもしています。
同じ年に、大人気番組『オレたちひょうきん族』に出演し、一気に知名度が上がり、その後『やまだかつてないテレビ』で人気を不動のものにしました。
1981年の流行語「ぶりっ子」は、山田邦子さんがギャグに使ったことから一般的に使われるようになったとされています。
また、「マルチ(タレント)」という言葉も山田邦子さんが考案もしくは広めたそうです。
山田邦子さんは言葉選びが得意だったそうなので、M-1グランプリ2022の審査員としてどのような言葉が使われるか楽しみですね!
まとめ
M-1グランプリ2022の新しい審査員に選ばれた山田邦子さんを初めて見た、久しぶりに見たという方が多かったのではないでしょうか。
若い頃は女性ピン芸人として天下を取っていた山田邦子さんですが、不倫や暴言などでテレビ出ない干された状態となってしまったようです。
その後、乳がんを患ったため、タレント活動の傍らがんに関わる活動もしており、世間の印象は変わっていったのではないでしょうか。
また、山田邦子さんはずっとお笑いに対する情熱は消えていなかったとのことなので、M-1グランプリ2022でどのような審査やコメントをするのか大注目が集まりそうです。
過去には8年連続好感度No.1タレントに輝いていた山田邦子さんですので、M-1グランプリ2022審査員をきっかけにテレビへの露出が増えるかもしれませんね!
M-1グランプリ2022出場者はもちろん、初めて審査員を務める山田邦子さんにも期待が高まります。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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