青山学院大学の常廣羽也斗(つねひろ・はやと)投手が、2023年のドラフト候補となっています。
高校時代までは目立った存在ではなく、青山学院大学進学後も2年間は目立っていませんでしたが、大学3年生の春頃から注目され始めた投手です。
一気にドラフト候補に名乗り出た常廣羽也斗投手ですが、素晴らしい学歴をお持ちです。
常廣羽也斗投手の中は、地元の南大分中学で、高校は進学校の大分舞鶴高校です。
南大分中学時代は、野球をしながら勉学にも励み、進学校の大分舞鶴高校に合格したことになります。
そんな大分舞鶴高校の偏差値も気になりますね。
また、青山学院大学には、スポーツ推薦で入学したわけではないため、高校時代も野球と勉強を両立されていたのではないでしょうか。
そして、常廣羽也斗投手の父母など家族構成についても気になります。
一部、常廣羽也斗投手の父も野球をしていたという情報があったのですが、本当なのでしょうか。
今回は、『常廣羽也斗の中学は南大分中学で高校は進学校の大分舞鶴!父母など家族構成は?』と題して、常廣羽也斗投手の学歴や所属していた野球チーム、家族について調べてみました。
常廣羽也斗の父母など家族構成は?
常廣羽也斗投手の父母など家族について調べてみたところ、このような家族構成になりました。
- 父
- 母
- 弟か妹、計3人
常廣羽也斗投手の母に関する情報はありませんでした。
それでは、父や弟・妹について見ていきます。
父も野球経験者!
常廣羽也斗投手の父は、竜也さんと言います。
父・竜也さんの年齢は、49歳です。(2023年10月時点)
≪父・竜也さん観戦≫完封した常広の父・竜也さん(49)は大分から駆けつけ、三塁側内野席で息子の活躍を目に焼き付けた。自身も高校途中まで野球部に所属しており「よくキャッチボールをしていたが、今はもう手が痛くて捕れない」と笑顔。幼い頃は恥ずかしがり屋で人前に出ることも苦手だった息子がドラフト1位候補にまで成長し「努力でよくここまでになった。まずはお疲れと言いたいですね」とねぎらった。
スポニチ
父・竜也さんの出身高校は、大分県立大分工業高等学校で、高校途中まで野球部に所属していたようです。
昔はよくキャッチボールをしていたということなので、常廣羽也斗投手が野球を始めたのは、父の影響かもしれませんね!
また、常廣竜也さんについて調べると、一級建築士事務所が出てきます。
常廣竜也さんは、大分県大分市で一級建築士として働いており、様々な賞を受賞されている方です。
常廣羽也斗投手の父かどうか気になったので調べたところ、年齢が一致することと、常廣竜也さんのインスタに青山学院大学を応援する投稿があったことから、常廣羽也斗投手の父だと推測しました。
またインスタの「青学にいる選手は息子さんですか?」というコメントに「国士舘同様応援お願いします📣」とお返事されています。
なので、常廣羽也斗投手の父は、大分県大分市で一級建築士の方で間違いなさそうですね!
常廣羽也斗は4人兄弟の長男!
常廣竜也さんのインスタを拝見したところ、2021年3月の投稿に、「新年度は大学2年、高校2年、中学1年2人」とありました。
常廣羽也斗投手は、2020年4月に青山学院大学に入学していますので、学年も一致しますね!
そのため、常廣羽也斗投手は、4人兄弟の長男ということになります。
しかし、それ以外の情報はわかりませんでしたを
兄弟の性別はわかりませんが、中学1年生の2人とは、7歳ほど年齢が離れています。
もしかすると、兄弟の中にも野球をしている子がいるかもしれませんね!
祖父の仕事は建物の構造計算!
常廣竜也さんのインタビューによると、常廣羽也斗投手の祖父は、独立してからずっと建物の構造計算という仕事をされていたそうです。
僕の生まれは、大阪です。独立してからずっと建物の構造計算という仕事をしていた父親の姿を幼い頃から見ていたので、漠然と、「僕も将来は独立するんだろうな」と考えていました。
COMMON
常廣竜也さんは、父の影響で独立して仕事するようになったんですね!
常廣羽也斗の中学は南大分中学で高校は進学校の大分舞鶴!
常廣羽也斗投手の学歴はこちらです。
- 大分市立豊府小学校
- 大分市立南大分中学校
- 大分県立大分舞鶴高校
- 青山学院大学
常廣羽也斗投手は、大分県大分市出身で、高校までは地元の学校に通っていたことになります。
それでは、野球についても入れながら、学歴を詳しく見ていきましょう!
中学は南大分中学!
常廣羽也斗投手は、大分県大分市にある南大分中学校出身です。
中学時代は、硬式野球チームの大分シニアに所属していましたが、背番号1を着けたことはありませんでした。
ちなみに、野球は、豊府小学校3年生の時に投手として始めました。
高校は進学校の大分舞鶴高校!
常廣羽也斗投手は、大分県屈指の進学校である大分県立大分舞鶴高校に進学しました。
大分舞鶴高校の偏差値は68で、大分県にある高校で2番目に偏差値の高い高校です。
常廣羽也斗投手は、中学時代の成績が良い方で、野球を続けるか関係なく、大分県で最も大学進学がしやすい高校を選んだそうです。
そして、大分舞鶴高校の野球部に入部し、1年夏には大会デビュー、秋の新チーム編成の時には背番号1をつけることとなりました。
しかし、高校2年生秋には1学年下の投手に背番号1を奪われ、背番号9になり、高校3年生春は、背番号10の2番手投手となりました。
その頃は、公式戦ではほとんど投げる機会がなかったそうです。
その後、高校3年生夏に背番号1を奪取しますが、県大会2回戦で敗退という結果でした。
ただ、高校3年間で、最高急速を128キロから142キロまで14キロアップさせました。
青山学院大学には指定校推薦で入学!
高校時代の最高成績が、大分県大会ベスト4と、実績が足らなかった常廣羽也斗投手は、指定校推薦で青山学院大学に入学しました。
青山学院大学の野球部に自ら問い合わせて、練習会に参加していたそうです。
そして、少数精鋭の青山学院大学野球部に同じ高校出身の先輩がいたため、常廣羽也斗投手も入部することができました。
だが全国大会への出場経験がなく、大分県のベスト4が最高成績では実績が足りず、スポーツ推薦で進める大学はなかった。そこで「自分で(進路を)選べるんだ」と発想を転換。大学に問い合わせて練習会に参加し、指定校推薦で青学大に入学した。部員数の枠が少なく、少数精鋭の方針を取っている青学大だが、大分舞鶴からは3学年上の先輩が在籍していたこともあって、常廣も入部を許された。
4years
常廣羽也斗投手は、大学でも野球を続けると決めた時から、「レベルの高い東京六大学か東都リーグでやりたい」という思いを持っていたそうです。
ただ、青山学院大学の1年時~2年時は、なかなか結果を残せませんでした。
大学3年時の春大会の中央大学との試合が分岐点となったそうです。
その試合で、投げ方のコツを掴み、当時の自己最速となる152キロを計測しました。
そして、大学3年時の秋はリリーフでフル回転し、大学4年時にドラフト候補の投手となりました。
ちなみに、大学入学後に最高急速は、142キロから155キロまで13キロアップしたそうです。
常廣羽也斗のプロフィール!
最後に、常廣羽也斗投手のプロフィールや、主な球種、球速をまとめましたので、ぜひチェックしてみてください。
プロフィール!
常廣羽也斗投手のプロフィールはこちらです。
- 名前:常廣羽也斗(つねひろ・はやと)
- 生年月日:2001年9月18日
- 出身地:大分県大分市
- 身長:180cm
- 体重:73kg
- 投打:右投げ右打ち
- 遠投:120m
- 50m:6秒0
- 好きな芸能人:くりぃむしちゅー有田哲平さん
好きな女性のタイプはわかりませんが、好きな芸能人はくりぃむしちゅーの有田哲平さんらしいです。
また、常廣羽也斗投手について調べると「阪神ファン」と出てきますが、現在、好きな球団はないそうです。
小学生くらいの時は、お父さんが阪神ファンだったので、常廣羽也斗投手も阪神が好きだったとのことです。
また、常廣羽也斗投手は、オフの日はずっと寝ているそうです。
日頃の野球の疲れが溜まっているので、寝て回復しているのかもしれませんね!
主な球種や球速は?
常廣羽也斗投手の主な球種や球速はこちらです。(2023年10月17日時点の情報)
- ストレート:144~155キロ
- カーブ:108~113キロ
- スライダー:126~130キロ
- フォーク:135~138キロ
- チェンジアップ:120~124キロ
特に、140キロくらいのスピードで鋭く落ちるフォークは、途中まではストレートと見分けがつかず、落差もあるとのことです。
フォークが低めに決まれば、打者はバットに当てるのも難しく、千賀滉大投手(現メッツ)の“おばけフォーク”のような球となるようです。
まとめ
今回は、常廣羽也斗投手の学歴を調べました。
- 大分市立豊府小学校
- 大分市立南大分中学校
- 大分県立大分舞鶴高校
- 青山学院大学
大分舞鶴高校は偏差値68の進学校で、常廣羽也斗投手は、大学進学を視野に入れ、同校に入学しました。
青山学院大学野球部に自ら連絡し、練習会に参加するなど、決めたことへの行動力はすごいですね。
大学3年生春に投げ方を掴み、一気にドラフト候補の投手となりました。
ドラフト会議2023での指名や、プロ入り後が楽しみな選手です。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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