山田邦子の全盛期はいつで年収はいくら?売れた理由はなぜで現在の活動は?

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M-1グランプリ2022の新しい審査員となった山田邦子さん。

若い世代だと「初めて見た!」「誰?」と思ったでしょうし、山田邦子さんの全盛期をご存知の方は「久しぶりに見た!」と思ったのではないでしょうか。

山田邦子さんは最近はテレビに出ていないですが、全盛期はかなりの数のレギュラー番組を持ち、人気もすごく「唯一天下を取った女性ピン芸人」と言われています。

それだけすごい方なのであれば、全盛期の年収はすごかったでしょうね!

 

では、山田邦子さんの全盛期はいつで年収はいくらなのでしょうか。

山田邦子さんの全盛期を知らない方にとっては、全盛期はいつなのか気になりますよね。

また、山田邦子さんの全盛期は相当稼いでいたと想像できるのですが、年収はいくらだったのでしょうか。

 

そして、他にも女性芸人やお笑いタレントはいたと思うのですが、山田邦子さんはなぜ売れたのでしょうか。

山田邦子さんが売れた理由が何かありそうなので、売れた理由も気になります。

さらに、最近はテレビで見ない山田邦子さんの現在の活動は何をされているのでしょうか。

 

今回は以下について調査しました。

  • 山田邦子の全盛期はいつ?
  • 山田邦子の全盛期の年収はいくら?
  • 山田邦子が売れた理由はなぜ?
  • 山田邦子の現在の活動は?
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山田邦子の全盛期はいつ?

山田邦子さんの全盛期はいつなのかというと、

山田邦子さんの全盛期:1980年~1995年

山田邦子は、お笑いタレントとして1980年代から活躍されており、芸歴42年というベテランです。

 

山田邦子さんの全盛期の主な活動はこちらです。

  1. 週14本のレギュラー番組
  2. 好きなタレント8年連続1位(NHK「好きなタレント調査」)
  3. 小説家デビュー
  4. 「やまだかつてないWink」名義でのシングルが大ヒット

それでは1つずつ見ていきましょう!

週14本のレギュラー番組

山田邦子さんの全盛期は、週14本のレギュラー番組を抱えていたそうです。

山田邦子さんの全盛期の主な出演番組はこちらです。

  • 『オレたちひょうきん族』
  • 『クイズ!年の差なんて』
  • 『MOGITATE!バナナ大使』
  • 『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』
  • 『邦子がタッチ』
  • 『山田邦子のしあわせにしてよ』

参考までに、超売れっ子お笑いコンビ・かまいたちのレギュラー本数は18本(2022年10月時点・ラジオやWeb配信含む)です。

山田邦子さんの全盛期は、ネット番組などはなかったので地上波テレビのみでレギュラー週14本のレギュラー番組はすごいですね!

 

山田邦子さんの全盛期には、民放の各局に山田邦子さん専用の「仮眠室」があったと自称しているほどです。

それでも、レギュラー番組を多く抱えていたことに感謝しながらも、睡眠時間が徐々になくなっていったそうです。

一時は疲労とストレスで、警察の担当部署に電話で悩みを相談したこともあったとのことです。

山田邦子さんの全盛期のすごさがわかりますね。

好きなタレント8年連続1位(NHK「好きなタレント調査」)

山田邦子さんの全盛期では、NHKの「好きなタレント調査」で好きなタレント8年連続1位という記録があります。

山田邦子さんは、1998年~1995年の8年連続で第1位!

 

1986年にビートたけしさんが芸能活動を自粛していた時期は、ビートたけしさんの代役として、『スーパーJOCKEY』『天才・たけしのげんきが出るテレビ!!』などで司会を務めることが多かったそうです。

また、当時ゴールデンタイムに冠番組を持っていた女性のお笑いタレントは山田邦子さんだけだったとか。

そのことから、芸能界や放送業界で山田邦子さんは「唯一天下を取った女性ピン芸人」と呼ばれるようになりました。

8年連続で好感度No.1というのは、すごいことですよね!

 

しかし、8年連続好感度No.1だった山田邦子さんですが、ある時期からテレビに出ないようになりました。

その理由については、こちらの記事で紹介しています。

山田邦子がテレビ出ない干された理由はなぜ?不倫・井上公造への暴言や乳がん治療も

小説家デビュー

山田邦子さんの全盛期である1990年には『あっかんベーゼ』で小説家デビューもされています。

そして、1991年に出版した2作目の『結婚式』は発行部数40万部を超えるベストセラーとなりました。

その後も、「恋愛」「結婚」「女性」などを題材とした小説を多数出版しています。

山田邦子さんは芸として「言葉遊び」を得意にしていたそうなので、小説家としての才能も備えていたのかもしれませんね!

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また、1994年にはリカちゃん人形に関する著書『私のリカちゃん』を発表し、同年タカラから「リカちゃんのおともだちクニちゃん」という山田邦子さんを模した人形も発売されました。

2018年にはクニちゃん人形が復刻され、福島県にあるミュージアムに展示されたそうです。

一時原宿には、タレントショップの「クーニーズ」を出店していたそうです。

小説家デビューをきっかけに、リカちゃん人形になりタレントショップも出店するとは、山田邦子さんは多才な方なんですね!

「やまだかつてないWink」名義でのシングルが大ヒット

1991年には、『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』から誕生した「やまだかつてないWink」名義でのシングル『さよならだけどさよならじゃない』が大ヒットしました。

これは、当時人気の女性デュオ・Winkのパロディユニットでした。

CDは推定26.9万枚も売り上げたそうです。

 

『さよならだけどさよならじゃない』の作詞は山田邦子さん、作曲は『愛は勝つ』で知られるKANさんが手掛けたことでも有名となりました。

お笑い芸人がCDまで発売できるというのは、人気がないとできないことですよね!

山田邦子さんの全盛期がすごいことがわかりますね。

山田邦子の全盛期の年収はいくら?

山田邦子さんの全盛期の年収はいくら?ということですが、年収は10億円くらいだと推測します。

過去の最高月収は、1億円!!

え!年収じゃなくて月収!?と驚く金額ですね。

これは、2017年に山田邦子さんが『おかべろ』に出演した際、ご自身で告白していた数字になります。

 

デビュー当時は芸能界に所属していなかったそうですが、その後大手事務所である・太田プロダクションに所属し、お給料が歩合制になった途端、月収が6倍になったそうです。

過去最高月収が1億円ということなので、年収12億ということではないですが、年収10億円くらいはありそうですよね!

山田邦子さんの全盛期、相当すごかったんですね・・・

山田邦子が売れた理由はなぜ?

山田邦子さんが売れた理由はなぜなのでしょうか。

山田邦子さんの人気エピソードをご紹介します!

  • 『オレたちひょうきん族』
  • やまだかつてないWink
  • バスガイドのネタ

『オレたちひょうきん族』

山田邦子さんは、1981年~1989年に放送されていた『オレたちひょうきん族』に番組初期から末期まで出演していました。

「ひょうきんベストテン」では、主に薬師丸ひろ子さん、島倉千代子さん、松任谷由実さんなどのものまねを披露して大人気となりました。

 

また、『オレたちひょうきん族』の中では、「ひょうきん絵描き歌」という担当コーナーがあり、大ヒット企画となったそうです。

出演当初からコーナーを持たせてもらえた女性芸人は、山田邦子さんだけだったそうです。

このように、山田邦子さんが出演するコーナーが大ヒットし、人気者となっていったようです。

やまだかつてないWink

先程も紹介しましたが、山田邦子さんが売れた理由は「やまだかつてないWink」も大きいのではないでしょうか。

Winkの相田翔子さんは、山田邦子さんのものまねレパートリーの1人でした。

なので、本家と同じように歌ってみたい!と思ったことがきっかけで、「やまだかつてないWink」のシングル曲「さよならだけどさよならじゃない」が生まれました。

 

ちなみに、山田邦子さんの相方は、一般視聴者オーディションで選ばれた横山知枝さんが選ばれました。

その後、横山知枝さんによるソロシングル2曲は発売されましたが、やまだかつてないWinkとして発売されたのは1局のみとなります。

そして、1992年3月25日に『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』が終了するに伴い、ユニットも解散しました。

バスガイドのネタ

山田邦子さんは、現在では定番となったバスガイドの「右手をご覧ください、一番高いのが中指でございます」などのギャグで人気を博しました。

こちらの動画で、バスガイドネタから山田邦子さんのものまねまで全て見られます。

バスガイドネタは中学以来の持ちネタだったそうで、『笑っている場合ですよ!』という番組内の素人勝ち抜きコーナー「お笑い君こそスターだ!」に出場し、披露しました。

そして、このネタでチャンピオンとなったそうです!

山田邦子さんは、素人時代からおもしろかったんですね。

 

バスガイドのネタは、山田邦子さんの伝説ネタとも言われています。

1981年にはバスガイドネタの『邦子のかわい子ぶりっ子(バスガイド篇)』でレコードデビューも果たしています。

また、山田邦子さんのギャグ「ぶりっ子」は1981年の流行語になったと言われており、広い世代で使われる言葉となりました。

山田邦子さんの人気ぶりや影響力がとてもわかりますね!

山田邦子の現在の活動は?

山田邦子さんの現在の活動は、タレント活動の傍ら、がんに関わる啓蒙活動に参加されています。

というのも、山田邦子さんご自身が2007年に乳がんが左右の胸にあることが発覚し、2回の手術でがんを全摘出された過去があるからです

そのことから、がんに関わる啓蒙活動に積極的に参加するようになったそうです。

 

2008年4月にはがんに対する知識と理解を呼び掛けるチャリティー団体「スター混声合唱団」を結成しました。

また、2008年~2010年までは厚生労働省の「がんに関わる普及啓発懇談会」委員も務められていました。

2009年にはNPO法人「リボン運動 がんの薬を普及する会」を結成し、代表理事に就任されています。

同年、NPO法人「キャンサーリボンズ」のシンボルソング『あなたが大切だから』を作詞作曲するなど、がんに関わる啓蒙活動に注力されているようです。

 

その一方で、山田邦子さんは「職業はお笑い」という思いがあり、太田プロダクションのお笑いライブには不定期でゲスト出演し、新ネタを披露していたそうです。

2017年には女性お笑い芸人のコンテスト『女芸人No.1決定戦 THE W』に参戦しようともしていました。

結局、番組の詳細について説明を受けていないなど、スタッフとのすれ違いがあり出場には至りませんでしたが、やる気満々だったそうですよ!

山田邦子さんはM-1グランプリ2022の審査員となったので、審査員をする限りTHE Wには出場できないかもしれませんが、いつか出場してほしいですね。

 

このように、山田邦子さんは芸人としての活動をする傍ら、がんに関わる啓蒙活動をされています。

多くのことを経験した山田邦子さんがM-1グランプリ2022の審査員としてどのような審査やコメントをするのか注目が集まりそうですね!

 

また、久しぶりに山田邦子さんを見た人から痩せた?という声が寄せられていましたので、画像比較してみました!

山田邦子が痩せたと話題!若い頃と現在を画像比較!細くなったのはいつからで理由も

まとめ

山田邦子さんの全盛期は1980年~1995年で、レギュラー番組週14本を抱え、好感度タレント8年連続第1位も獲得していたという人気ぶりが伺われます。

CDデビューや小説家デビューなど、幅広く活動されているのも人気の秘訣だったのかもしれませんね!

山田邦子さんの全盛期の最高月収は1億円という、驚愕の数字だったことも人気ぶりを表しています。

現在は、ご自身の経験からがんに関わる啓蒙活動もしており、そこでも先頭に立って活躍されているようです。

多くのことを経験した山田邦子さんが最近のお笑いに対しどのようなコメントをするか、楽しみですね!

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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